自分好みのワンピースを纏って

みんないつから捻くれるんだろう

正直に 真っ直ぐに 素直に 物事を言わなくなり
言葉を胸のうちにして 閉じこもるんだろう
思ったこと 感じたことを時に我慢する
それは確かに小さい頃教わるよ
だけど自分の本音にまで目を背けて
ついには自分がどうしたいのか
分からなくなってしまうまでに
人は変わってしまうのか

さっきテレビのインタビューで
満開ではない桜を見た 小さな女の子が
「まだあんまり咲いてないけど 桜は桜だからきれい」
こういったんだ
これを聞いた時 あぁ素直だなきれいな心だな
って感じたんだ

大人だったらきっと
「せっかく見に来たのにこれじゃあ...」と感じる人が
子供よりは多い気がするんだ

素直に ってことが最近難しく感じます


子どもの頃は 抱っこしてほしくて
人前でもどこでもなりふり構わず声を出して泣く
けどいつしか声を出して泣くことは
人様に迷惑をかけるから静かにしなさいって
教えこまれて 気づいたらいつしか
大きくなった子供は 大人は
ポロポロと 頬を伝って静かにひっそりと
息を沈めるように泣く

理性というものがはたらくから
わがままは社会の秩序を乱すから
みんなに弾き飛ばされたくないから
自分をおさえて おさえて おさえて
いつしか だんだんと心が鈍くなる
本音がわからなくなる
本音ってなんだろう?

素直な心に従うことは 年を重ねる事に難しくなる

本当は自分の中で 自分の価値観の中で
うれしくて 幸せで あったかいことなのに
見栄とか 周りからの評価とか
羨望の眼差しが向けられることをのぞんだり...
そんなものが自分の心を満たすものさしになるのかな
そんなのかなしいよね

他人からしたら小さくてちっぽけで
ヘンテコで よくない としても
自分の中で納得のいく心地よいものなら
それでいいんじゃないのかな

注目の集まる派手な柄のドレスを着て生きていくよりも
ゆったりとした 自分好みのワンピースを着て
大股で時にはスキップしたり
草原で大胆に寝っ転がってみたり
そんなふうに生きたいんだ

とおもってます

生きかた

今の感情を忘れたくない、
忘れてはいけないし忘れてしまったら
ここに帰ってきて思い出せるように書く。

死がなんなのか、分からなくなった。
いつまでかなんて分からないけど
おばあちゃんまで生きていつかは年老いて
死んじゃうんだろうな...そんなこと考えてた。
怖いとか怖くない以前に想像が湧かなかった。
自分にとってはまだまだかけ離れたことだと
勝手に決めつけて毎日なんとなく生きてた。

だけど今強く感じた。学ぼう。
明日死ぬかのように生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい。
この言葉がとっさに思い浮かんだ。
やる気がでないとか、むだいいよね、とか
そんな事考えてる自分に自分で情けなくなったし
今もし交通事故にでもあって死んだら
私はこの世界に何も残すことなく
いたかいないかも分からずに消えちゃう。
世界に誰かに何処かで力になって
頭をつかって足をつかって
人と関わって繋がって伝えて
この命を使わないと、と思った。

今すごく悲しいんだ。
別にただテレビで観てただけそれだけしか知らない
そんな人があんなに若くして亡くなってしまったなんて
信じられない

今この瞬間から行動にうつして
自分を変える変わらなきゃいけない

人が見たら何綺麗事並べてるんだと
思われてしまうかもしれない
私の拙い表現力ではこう書くのが精一杯で
ありきたりな言葉をただ並べたようにしか
見えないけれどすごく怖い
だから悔いがないように一日一日を大切に
やりたいことやるべきことをやる

今の私。

お久しぶりに帰ってきました。

なかなか気が向かずに時間だけがただ過ぎ去っていく。

変わりたい変わりたいと思い、ツイッターで前向きな言葉を発すると

みんながお気に入りをしてくれたり、素敵な考え方ですね、って言ってくれる。

だけどその言葉は私の理想であって、私自身は

本当はダメダメだから

そのうち言葉を発するのも嫌になっちゃった。

本当にここ最近何もしない、という無生産な日ばかり。

本を読む時間も9、10月に比べて圧倒的に減ってる。

何もしないから焦る、どんどん置いてきぼりになる。

こんな悪循環に苛まれる日々とおさらばしたくて、

今頭の中にあることを文字にすることで整理してみようと思う。

 

私とはいったい何者なんだ?とよく思うんです。

何をするために、何をしたいの、どう見られてるんだってね。

色んな方向から自分を客観的に見てみる。

けれど心は自分の内側にあるから、自分自身で分かるのは

あくまで自分の中のもう一人の自分と鏡に映る自分。

もう一人の自分は常に悶々と考えてる。

それを今日は文字にしてみよう。

そうしたら何か見えてくるかもしれない。

 

私は女です。

食べることが好き。好きな食べ物は和食。野菜をよく食べる。

あと私の家の味噌汁には酒粕を入れるのがこだわり。

最近はおばあちゃんちで作ったしょうがを沢山送ってくれたから

よくしょうがご飯を作る。さっぱりとしていてしょうがが

ピリ効いていて箸がすすむ。

あとはタルト。家の近くのケーキ屋さんのフルーツタルトが今のところナンバーワン。

クッキー生地がサクッと香ばしくてだけど中はザクザクとした触感も残しつつ

バターのコクが有って良いバランス。

カスタードクリームは濃厚でいい卵が使われているって感じ。

新鮮なフルーツがその上にお行儀よく並べられている。

小ぶりだけど一つ一つの味がしっかりしているから満足できる。

 

本を読むことが好き。

クリスマスにサンタさんが来ていた時は、毎年サンタさんが選んだ本が

プレゼントの別に部屋のどこかに隠して置いてあった。

今から考えると本好きのお父さんらしいプレゼント。

読むこと自体は嫌いじゃないけど、ネットが自分にとって身近になって

気づいたらこんなに触ってたんだ、なんてことが多々あったり

文章を書く時、稚拙な文や表現しか思い浮かばない自分が嫌になって

本を読んだら知識をそこから吸収できると思って

ここ何か月かは意識的に読むようにしている。

今年、心に残っている本は『あん』と『舟を編む

私が本を選ぶのは大体表紙と最初の2、3文を読んで

すっと体の中に文章が入ってくるかで判断している。

夏休み明けからは積極的に図書室に行くようにもなった。

 

雑誌を読むことが好き。

初めて読んだのは小6の時、ニコプチを買った。

今でも覚えている。塾にいた有る女の子の影響で読み始めたの。

モデルさんについてな結構知ってる自身がある。

本屋さんに行ってはよく片っ端から立ち読みする。

前は流行に敏感なViViやアンニュイで品のあるセクシーなモデルの多いarを

よく買っていたけど、ある時これは自分には全くないものを持っている

モデルさんに憧れているからか、と気づいて。

そこからは、vikkaやonkul,CLUELの3冊のテイストに惹かれ始めた。

洋服のテイストも流行を気にせず、飽きが来ないプレーンな感じ。

王道なものを組み合わせる、ようなスタイルが自分にしっくり来た。

海外の雑誌なら、ELLE girl とVOGUE girlはたまに買う。

今好きなモデルさんはエモン久瑠美ちゃん、市川紗椰ちゃん、琉花、小松菜奈ちゃん。

海外のモデルさんだったらアレクサ・チャン、スキ・ウォーターハウス、

カーリー・クロス、リリー・オルドリッジ。

 

ふう、今日は書き疲れたからここまで。

こうして自分の好きなものについて整理してみると全く共通点のないように

思えるものでも、意外なところでつながってたりして面白い。

改めて興味のアンテナは常に張って、色んなことを吸収すべきだなと思った。

 

 

 

 

いつからだろうか、こんなに自分の中で
深く考えるようになってしまったのは。
自分で自分を苦しめている気がする。
この世を光と影の二つに分けるとしたら
光に行きたい、光に憧れる影なんだと思う。
前は光に入れてたと思う。
ここでいう私よ考える光は、真っ直ぐに物事と
向き合っていて全力な人...とでも定義づけできるのかな。
何をやるんでも何か全体を俯瞰してる自分がいるんだよね。
それは自分にとってすごく邪魔な存在で。
重くて重くてでっかい自意識の塊を心の中で
作っていて、その塊のせいで自意識過剰になっていく。
実際自分でも抜け出せなくて辛い。
何が嫌とかそう言うわけでもない。
でも風のように気まぐれに私の心の中に
すーっと入りこんできては暗い霧みたいに
私の心を自意識でガチガチに固める。
それはネガティブでみんなとは一段下がった場所にいる気分。
何も考えずに楽しく過ごしてるように見えて羨ましくなる。
こんな事書いている自分も本当は嫌なんだ。
感覚で感じるままに自由に生きたい。
だけど今の自分は立ち止まって考えてやっぱりやめようって
後ろ歩きし出すみたい、前に進むことへの未練を
前にぐんぐん進んでいける人に羨望の眼差しを向けながら。
後ろ歩きしながら本をよんだりして得た知識の石ころを
ポケットに手を突っ込んで確かめる。
みんなが前に進んでいる間に私はじっと
本を読んで知識を得た、ここだけは違うんだ
教養というものがあるんだってどこか
人とは違うところを見つけては少しでも
優位にたとうとしてるみたい。
なんだかね、何でこんなねじ曲がった
複雑な人間になってしまったのかね。
分からないね、みんなは身軽に見えるのに
自分ははち切れんばかりの荷物を背負って常に
動いてる気分になるんだ。

西加奈子さんの『うつくしい人』を読んだ。
10月に入って6札冊目の本。
この本の主人公の百合も私みたいに
トンネルの中をさ迷ってるの。
だから読んでいて同じ温度だった。
百合がいる状況に共感できた。
周りから見たら何でそんなに悩んでいるんだろうって
思われるかもしれないけど、本人としては
とても辛いんだ。
でも百合は坂崎とマティアスに出会って変わった。
自己嫌悪の膜に何も知らない唐突に心に入ってくる針で
プツンと刺すとその膜は一瞬にして何事もなかったように
割れてなくなって周りにあった空気と調和し始める。
何に悩んでいたんだろう、って思える。
こんなに単純で簡単な事だったのかって。
きっと彼女はこのはなしが終わったあとも
浮き上がってきたり沈んだり、複雑で繊細で
扱いずらくて面倒くさい女の人だろうね。
自らトンネルを作っていて真っ暗に覆って囲って
周りとの隔たりをつくる。
そしてその隔たりをみんなとは違う何かを持った
自分に都合よくすり替える。
でもそれは井の中の蛙でしかない、のだろう。
いや絶対にそうなんだ。
だけどあとがきで西加奈子さんとともさかりえさんが
言っているように
どんな状況も自分で作り上げている。
自分を追い込んでいるのも、自己嫌悪の連鎖に
自分を陥れているのも全て自分。
「辛くなるのも、幸せになるのも、自分次第」なのだ。

これを書いている今も私はトンネルを抜けるきっかけを
掴めないままでいる。

でもバスケットボールでシュートを決めた瞬間とか
座り心地のいいソファに座ってケーキを食べて
本を読んでいる時間は紛れもなく幸せだ。
心の中が心地いい状態である。
だけどそこに太っちゃいけないとか
変な自分のエゴがまとわりつくと
罪悪感が上に覆いかぶさって嫌になってくる。
たまにの御褒美はいいじゃないか。
気が進まない時は1人で好きなことをする。
それでいいじゃないか。
もっと単純に物事を考えればいいじゃないか。
心の中のもうひとりの自分はそう言っている。

風のように感覚で生きたい。
何にも左右されず気の向くままに。
こう考えてる今でも、いやそれは
感覚ではなくてワガママではないのか、
左右されないとはイコール自分中心で
いることと同じではないか、とか
事の反対側をすぐに考えてしまって
ループ殻ぬけだせない。
だけどそれでもいいのかもしれない。
間違ってたら直せばいい。
気楽に何でもやってみよう。

そう自分を奮い立たせてみる。

昔の記憶

f:id:audreygirl:20151003212544j:plain

f:id:audreygirl:20151003212329j:plain

谷川俊太郎

小学生の時、国語の教科書に出てきた。

まだ小さかった私は赤いランドセルにいれて

その教科書を運んでた。

 

学校と家の往復。

今なら10分もかからないのに

あの頃は家がものすごく遠くに感じてた、特に帰りが。

学校の目の前の家に住んでる子を羨ましく思った。

今でも好きな雑木林、あれはきっとブナやコナラ。

青々と生い茂った葉っぱのトンネル。

春になると控えめだけどお上品な色をした櫻の木。

ウサギ小屋。

理科室と図工室は影の暗い所にあって

怖い話が流行ってたから

一人で通るときは

なぜだか不気味に感じて早歩き。

階段を上る音が響く。

一段飛ばしで足早に。

準備室にあるモナリザと目があいそうで

そらしてた。

ブランコ。休み時間のチャイムが鳴ると争奪戦。

鉄棒。補助台がないと逆上がりはできなくて。

結局、今でもできないまま。

そうだ私は運動音痴。

豚の丸焼き、こうもり、足掛け回り。

こんな技あったよね。

だけどうんていは得意だったよ。

サルみたいにテンポよく2こ飛ばしで進んでいく。

熱中した後は手が鉄臭くて、マメができた。

でも高学年になると雲梯が小さくなって

いや、私の背丈が伸びて足が地面についちゃった。

シーソーで、思いっきり地面をけってふわっと浮く感覚。

思い返せばタワーおぶてらーに似ていたな。

下にいる子が急に降りた。

上にいた私はドスンと落ちた。

尾てい骨にぐわんぐわん鈍く響く。

ジャングルジム。

字にするとなんか不思議だね。

ウルトラマンのまねをして

てっぺんから飛び降りて骨折した子がいたっけ一番上まで行くと

足がすくんだ。

といえば、あれは...何て名前だっけ。

鎖で網目みたいに繋がれた上っていく遊具。おそいんだ

くさり、て呼んでたっけ。

みんなで上るとゆらゆら揺れて上手く上まで行けなかった。

 

あの時は、あの校舎の中が私の

世界で

社会で

居場所で

純粋に無邪気にいれてたのかな。

 

 

そんなことをこの詩を見たら走馬灯のように

記憶が私の脳ミソの忘れ去られていた

机の引き出しのめったに使わないようなところから

湧き出るように蘇ったんだ。

 

そして今日はこの本たちを読んだ。

 

f:id:audreygirl:20151003212628j:plain

詩って小説やエッセイを読む時とは違った速さで

頭の中に入ってくる。

遅いんだ、薬缶の水を弱火で温める時みたいに

底のほうで沸々と文字がイメージとなって湧き出てくる。

何年ぶりだか分からないとにかく久しい詩集は

谷川俊太郎さんの言葉を借りて表すなら

「工芸品」だった。

本であり、

その詩を表現するために

文字を印刷する紙、表紙、大きさ、字体、帯、デザイン。

細部にまでこだわり抜いた作品だ。

 

そして好きな詩が増えた。

f:id:audreygirl:20151003212439j:plain

 

さあ10月もたくさん本を読もう。

ルーティーン

私は時間の使い方が下手だ。
朝起きて学校に行って帰ってきて
お風呂に入って夜ご飯を食べる。
そして寝るまで自由に過ごした後寝る。
そしてまた朝が来る
やっていることは毎日同じはずなのに
隙間の時間を上手く使えていない。
その日その日によって行動と順序が違うから
無駄に疲れたりすることが出てくる。
こう書いているとすごくテキパキと動く
ストイック人間に見えるかもしれないが
時間の使い方が本当に下手なのだ。

余裕な時間に起きても、少しだけやっておこうと
思った課題に没頭して
結局乗りたい電車の時間が迫ってきて
急いで家を出るハメになったり
身だしなみを整えてると
これまた自分のペースで
やってしまって気づいたら時間が...
なんてことが多々ある。
だから早く起きても時間に追われている気になる。


学校の国際学科のゼミの中で比較文化について
ディスカッションをした時、
私は日本では常に時計が
目に留まるところに置かれていて
時間に追いたてられている。
それに比べて留学したアメリカでは
時計をみるという動作をすることが
あまりなくて伸び伸びとすごしている...
なんて自分で言っていたけど
時間に迫られるようにしているのは
時計じゃなくて時間をうまく使えていない
自分なんだということに気づいたのだ。

理想の私は、朝起きたらストレッチをして
体を伸ばす。そして身だしなみを整えて
制服に着替え朝ごはんを食べる。
その後、新聞に目を通して活字を読む。
そして30分ほど英語の勉強をして
ゆっくりと余裕を持って家をでる。
たまに余裕がある時はひと駅分
多く散歩しながら行ったっていい。

学校から帰ってきたら、お風呂に入る。
そして夜ご飯を食べて
宿題は編集部8時までには終わらせる。
その後、映画を観たり読書をする。
世界史をしっかり学び直したいし
英語だってまだまだやるべき事は山ほどある。
そして自分の興味のある栄
養学やファッションについて調べたり
ブログにして自分の考えを整理する。
そうして12時には寝る。
これが私の理想だ。

やるべき事と自分の興味のあることの
優先順位の付け方が間違えてるからこうなるのだ。
それにスマホを持っていることで
気づいたら時間が過ぎていたなんてこともある。
たけどこれって何も自分の身につく知識や
情報を得れてない気がする。

今の泥沼にはまりながら必死に前へと進もうとするような
非効率な生活とはもうおさらばだ。
なりたい自分になるためには、日々の生活の
ちょっとした行いの積み重ねが立ち振る舞いや姿勢、
言葉遣いや表情になってにじみ出てくるものだと思う。
これらは決してごまかせない。
食生活が肌に影響するみたいに
豊かで充実した生活をしている人は
きっとその人にしか持ちえない味が出てくるはずだ。
こんなまだ世間を知らない若い私が言うのも生意気だが
毎日を丁寧に過ごしてきた人がいくつになっても
魅力的で輝いているんだろうなと思った。

すいーとぽてと

四季の中だったら秋が一番好き。

秋の暖かくて柔らかな空気、色とりどりに色づく銀杏やもみじ、

道端には落ち葉やドングリや松ぼっくり。

金木犀の甘い香りにうっとりして

空の雲は夏とは違った顔をする。

なんだか夜が長くなり、夜空には綺麗なお月様。

 

洋服もやはり秋がいい。

暑い暑い夏が終わって、Tシャツとお別れして

少しずつニットを着てちょうど良い温度に近づく。

(ただ最近は異常気象で四季の変化がどこか変。)

最近はやっと自分のなりたいスタイルが

明確になってきてさらに楽しい。

また洋服については違う機会にじっくりと話そう。

 

梨や巨峰に林檎。

好きなフルーツもやっぱり秋。

そして忘れてはいけないのが

さつま芋と栗とカボチャ。

私はこの3つがとても好き。

こっくりと自然で素朴甘さでホクホクしてる。

インパクトが有るわけでもないけど

目につくと食べたくなって病みつきになる。

このシルバーウィークの間にも

安納芋のタルトをカフェで食べて

栗かぼちゃのサラダを作った。

そして今日、おばあちゃんから送られてきた

さつま芋でスイートポテトを作ったの。

初めて作ってみたけど、思ったよりも上手くできた。

 

材料は、

中くらいのさつま芋 2こ

三温糖 大さじ3~4杯

バター 30g

牛乳 100mlくらい

卵黄

 

まず、皮をむいて薄く切ったさつま芋を

電子レンジで600w 5分温める。

爪楊枝でさして柔らかくなっていたら

ボウルに入れて木べらでサクサク切るように

縦に横にさつま芋をほぐしていく。

そこに三温糖と溶けたバターを入れてさらに混ぜる。

均等に混ざったら、加減しながら牛乳を入れ混ぜる。

ここではフォークを使って混ぜる。

(さつま芋がどの位パサパサしてるかによって牛乳の量は調節する。)

フォークですくって傾けても、

落ちないくらいしっとりしたら

手で形を整えてアルミカップへ。

卵黄をたっぷりとはけで塗ったら

トースターに入れる。

(すぐ焦げやすいのでこまめに見てね。)

表面に焦げ目ができて良いにおいがしてきたらそ完成。

 

そうして出来たのがこちら:)

f:id:audreygirl:20150923232645j:plain

火を一切使わないで出来てしまうのが良いところ。

それに多くのものを入れずに

シンプルに仕上げることで自然な甘さに仕上がる。

ポイントは混ぜる時にどこまでさつま芋を細かく出来るかで

食べたときのしっとり感が決まるかな。

あとはバターは少し多めくらいのほうが

香りもいいし食べた時コクが増す気がする。

今回ははけを使って卵黄を塗ったけど

今度作るときは成形したスイートポテトまるごと

卵黄につけてから焼こうと思ってる。

あとはちみつを少し入れてみようかなと。

 

料理をすることは好き。

やればやるほど感覚で分かるようになっていくところとか

全部の野菜の厚さを均等に切れるようになったりすると

嬉しくなってさらにのめり込んじゃう。

休みの日はよくお母さんの味を教えてもらってる。

毎日毎日、お母さんの作った手料理を食べてるから

お母さんの味は分かっているはずだし

台所で隣にいて作る順番も同じはずなのに

私とお母さんではどこか違うんだよね。

目分量なのにいつ作っても同じ味付けなのは本当にすごい。

その人にしか分からない加減や感覚が染みついているんだろうね。

ここ最近はまた私の作れるレパートリーが増えた。

野菜たっぷり胡麻和えナムル。

ハンバーグにかぼちゃサラダ

一つ、また一つとどんどん増やしていこう。

 

 

 手作りの良いところは添加物が一切入ってないところ。

ある時期から(ダイエットがきっかけかな)

 食べ物に含まれる栄養素とか身体にどんないいことがあるのか

お菓子とかに含まれる身体にあまりよくない添加物とかを

調べるようになって、最近は特にヴィーガンについて調べることにはまってる。

グルテンフリーやスーパーフード、ドライフルーツ...。

などなど食べ物に関する興味は尽きない。

調べてはまると、そればかり偏って食べてしまうこととかも

今まであったけどいろいろ試した結果行きついたのは

厳しく厳しくすると疲れちゃうし続かない。

こうしたほうが身体にはいいよってことを頭の片隅に入れる。

そして食材を選ぶ時、身体にいいものは出来る範囲で取り入れて

あまりよくないものは少なめに。

グルテンフリーも心掛けてはいるけど

わたしはパンが大好きだからたまには食べる。

そうやって続けられることをやるのが一番だよね。

 

秋の味覚について話すつもりが

気が付いたらだいぶ脱線してた。

まとめると食べるのもつくるのも楽しいということ。